宵待草の咲くころ・・☆★☆★



ようやく蒸し暑さも和らぎ始めた夏も終わりの夜、煌煌と光を湛えている月が、少し開けた森の中を進むロック達一行を照らし出していた。彼らは今、眷族の星を手に入れるため、ベルディアの帝都ドートンに向かっている。一行の歩いている道の脇には、白い花が群れるように咲いていて、月明かりを受け幻想的な光景を醸し出していた。
「わぁっ、奇麗な花。」
セラが思わずそう呟く。
「ああ。この花で口説いたらどんな女もいちころだろうな。」
エドガーが冗談まじりの口調で、そう応えた。
「ったくお前の頭にはそういうことしかないのか。でも本当に奇麗な花だな、一体何て言う花なんだろう。」
前を歩いていたロックもいつの間にか話に入って来ていた。
「宵待草・・・。」
そう答えたのはゴットンだった。
一同が意外そうな顔をして彼の方を見る。
「へぇ、パパ意外と詳しいんだ。」
セラが茶化すように言う。
「ああ、ちょっとな。」
答えながらも、彼の目はその花から一時も離れない。
(あれからもう、一年たつのか。)
ゴットンの頭の中に、一年前の記憶が荒波の様に押し寄せてきた。

††††††††††††

二年前ベルディア帝国から神王バルバスが姿を消した。それにより彼の威光によって保たれていた暗黒の民と、猛虎の民との間のバランスが崩れ始めた。国のあちこちで小競り合いが起き、それが次第に大きくなり、やがては帝国全土を巻き込む部族抗争にまで発展した。数から言えば猛虎の民の方が有利に思えたのだが、暗黒の民は妖魔共を従え且つ、帝都ドートンを押さえていたため、両者とも譲らず一進一退の攻防を繰り広げていた。そんな中グレイは、領地であり生まれ故郷である辺境の村ウルにあって、ただひたすら暗黒の民に対しゲリラ活動を行っていた。
今日もまた無事一日が終わろうとしている。夕日が西の山の中に顔をうずめ、鳥達は一斉に巣に帰っていく。東の空には、一番星が輝き、虫達が夜の歌を奏で始める。グレイは屋敷での会議を終え、少し外の空気を吸おうと出てきたところだった。彼の傍らには、村長のオビトがいて、たまりかねたように背伸びをした。
「ふう〜っ、こう毎日緊張が続いては体がもちませんな。」
「ああ、だが今気を抜くわけにはいかんのだ。最近この周辺の村が次々と暗黒の民に襲われている。いつこの村にも敵の手が伸びてくるかわからん。しかし、我々には神王がいる。今は行方が知れないが、きっと我々の危機を救ってくださるだろう。」
「だといいんですが、なるべく早くしてくださいませんかねぇ。この村が陥ちてからでは手遅れですからな。」
「それも言えるな。だが、今我々に出来ることはこの村を護り抜くことだ。辛いだろうがもうしばらく辛抱してくれ。」
「御意にございます。ところで将軍、妹君がまだお帰りになっておられないご様子ですが。」
「うむ、昼過ぎに森に行くと言って護衛もつけずに出ていったが、そろそろ帰ってきてもいい頃なんだがな。」
グレイは、イライラを隠せないようで、屋敷の庭を行ったり来たりしている。その様子を察したオビトは、思わず吹き出しそうになるのを必死で堪えている。
「将軍は、妹君のことをたいそう気に掛けておいでですなぁ。なかなか微笑ましいことですな。ほっほっほっ。」
「馬鹿言え!あんなに手の懸る妹、とっととどこかに嫁に行ってしまえばいいとさえ思っているくらいだ。」
図星だったのか、グレイは顔を真っ赤にして答えた。
「いやいや、御謙遜、御謙遜。おっ、噂をすれば何とやらですぞ。どうやら妹君がお戻りになられたようですな。」
彼に言われて、グレイは村の入口のあたりに目をやる。そこには、年の頃十七・八位の少女が、籠を抱えてこちらに向かってきているのが見える。髪の色は、夕闇に溶けるような鮮やかな黒で、それが緩やかにウエーブして肩のところを越えて伸びている。瞳の色も黒く、そこに映すもの全てを吸い込んでしまうのではないかと錯覚してしまうほど澄んでいる。
「こんなに暗くなるまで、何をしていたんだ。今は、ピクニックに行ってるような御時勢じゃないんだぞ。」
「ごめんなさい、薬草を摘みに行ってそのついでにお花も摘んでたらいつの間にか暗くなっちゃって。反省してるわ。」
「う、うむ。反省しているのならばもう言うまい。今度からは気をつけるのだぞ。」
グレイはどうもこの妹、アリエスを扱うのが苦手だ。母のおしとやかな部分と、父の気丈なところを兼ね備えているためだろう。

彼らの父親は、神王に仕える将軍だった。その為非常に厳格でグレイも幼少の時分より剣術のスパルタ教育を受けている。
彼は父が何となく嫌いだった。それはどうしてかはっきりとは分からないが、あのような人物にだけはなりたくないという気持ちが、いつも心の片隅にあった。それ故父親が戦死した時も、さほど悲しみは湧いてこなかった。
だが母に対しては違った。母は暗黒の民の女性である。そのため、どちらの部族からも白眼視されていた。そして、その偏見が消える事なく、父の死んだあとそのあとを追うように、静かに息を引き取った。
その時、グレイは、自分にとって一番大切なものを奪われたような妄想に駆られた。彼の心の中に憎しみ、怒り、恨みと言った感情が津波のように押し寄せてきた。
だが、そこで彼の暴走を止めたのは、妹アリエスの存在であった。まだ自分よりも若く、母のように優しいこの少女を護ってやることこそ今一番為すべきことだと感じたのだ。妹だけは、アリエスだけは護ってやりたい。心の中は、その思いでいっぱいである。これが、グレイの持つ最初で最後の願いだった。

アリエスが戻ってきたので、ひとまず屋敷に入って夕食とすることにする。夕食といても、時勢が時勢なだけに乏しいものであった。それでも日々の暮らしに事欠かない分だけでも、有難いと思わねばならない。
食事の時、アリエスが先ほど摘んできたと思われる一輪の白い花を、グレイに見せた。
「ねえお兄ちゃん、このお花何て言う花か知ってる?」
「いや、知らん。」
「知りたい?教えたげようか。」
「別に。」
グレイが、感心なさそうに答える。
「もぉーっ。ちゃんと聞いてよ。」
彼女の小さな頬が膨れる。
「わ、分かった聞くよ。聞くからもうすねるな。」
「うん、じゃあ教えたげる。この花はね、宵待草って言うの。だいたい夏の終わり頃から、秋の始めにかけて咲くんだけど、面白いことに、この花は夜にならないと咲かないの。だからこういう名前がついたのね。それからね、この花にはとっても悲しいお話があるのよ。それはね、

今は昔の物語、あるところにそれはそれは美しい娘さんがおりました。娘は誰からも愛され、そして何の不自由をすることもなく幸せに暮らしていました。
ある時娘は、旅の若者と恋に落ちました。二人は、深く、激しく愛し合いました。しかし、若者は、外の世界から来た人間。当然周囲の者が黙っているはずがありません。二人は、必死で説得を試みますが、どうしても聞き入れてもらえません。
そこで彼らは、駆け落ちすることを決意しました。“明日の夜、月が真南に差しかかった時に、いつもの丘の上で待っていてくれ”そう言い残して若者は去っていきました。二人とも、これが今生の別れとなるとは、思ってもいませんでした。この後若者は、捕まってしまい帰らぬ人となってしまったのです。
そんなこととは露知らず、娘は次の日の夜になると、人目を避けてこっそり抜け出し、彼と待ち合わせた場所に急ぎました。しかし月が真南に来ても若者の姿はありません。それでも娘はひたすら彼が来るのを待ちました。やがて夜が明け朝が来ました。それでも娘は待っていました。一日がたち、二日がたち、三日目の夜、娘はとうとう息絶えてしまいました。
月日が流れ、彼女の倒れていた場所に、白い小さな花が咲いていました。そして、毎晩毎晩咲くことから、この花は、その娘の生まれ変わりだと言われています。今も、夏になるとまだ来ぬ若者を待つように咲いているのです。

とまぁ、こういうお話よ。どう、感動したでしょう。因みにねえ、この花の花言葉は“ずっとあなたを待っています”ですって。でも人を信じて死んでいくのってどういう気持ちなんだろうね。」
「さあな、俺には分からんよ。だがな、それで本人が満足行けばいいんじゃあないのか。信じずに死ぬより余程いいと思うぞ。」
「そうかなあ、信じて報われなかったらものすごく悲しいと思うんだけど。まあいっか。あまり深く考えるのはやめよっと。暗くなっちゃうからネ。それよりさ、その男の人ってさぞかし無念だったでしょうね。だって約束を果たせなかったのですもの。」
「ああ。それは同感だ。約束はきちんと果たさなくてはな。」
「じゃあ、お兄ちゃんは絶対に約束を破らないのね。」
「当たり前だ。つまらんことを聞くな。」
グレイは怒気を含んで答えた。
「そんなに怒んないでよ、少し聞いてみただけじゃない。」
アリエスは、兄のあまりの剣幕に、驚きの色を隠せない。
「す、すまん。つい、カッとなってしまって。謝るよ。」
「もうこの話はやめましょ。早くお食事を済ませちゃおうよ。スープが冷めかかってるよ。」
そう言ってアリエスは、まだ手付かずの料理を食べ始めた。グレイも目の前にあったパンを一つ手にとりかぶりつく。それから二人は一言も話さなかった。
翌朝、村に衝撃的な知らせが届いた。猛虎の民の最も大きな集落であるカナーンが、暗黒の民の手に落ちたのである。それは全く予知できなかった攻撃で、あっという間に制圧されていたそうだ。守将のヘンリーは一応の抵抗を試みるが、敵わぬとみて降伏したらしい。
「いよいよ事態が差し迫ってきたな。一体神王陛下は何をなさってるんだ。自分の部族の危機だというのに。」
「グレイ将軍、ここはもう神王の力を頼る前に、我々で何とかせねばなりません。どうこの危機を乗り切るつもりですか。」
「ふむう、このまま戦ってもこの小さな村では勝ち目がないか。・・・止むを得ん、降伏しよう。」
「降伏、でございますか。珍しく消極的なご決断ですな。」
「ああ、しかし戦って無駄に命を捨てることもないだろう。悔しいだろうが、耐えてくれ。今は生きて、いつの日か復讐を果たせばいい。」
グレイは唇を噛みながら言った。
「御意にございます。して、使者には誰が。」
「俺が一人で行こう。そのほうが怪しまれない。」
「では私は、村人を説得しておきましょう。」
「ああ、頼んだぞ。」
そう言ってグレイは、屋敷に戻り、大急ぎで出発の準備を整えた。
「ねえお兄ちゃん、カナーンが占領されちゃったんでしょ。この村はどうなるの。」
アリエスが、不安げな表情で聞いてきた。
「大丈夫だ。俺が何とかする。その為に今からドートンまで行ってこなければならない。心配ない、すぐに帰ってくる。」
「そんな、お兄ちゃんが居なくなったら誰が私を護ってくれるの。私も一緒に行く。」
「だめだ、行くのは俺一人だ。どんな危険があるか知れん。心配するなって絶対に戻ってくるから、それまで待っていてくれ。俺を信じろ。」
「分かったわ。絶対に戻ってくるって信じてるからね。」
「ああ、すまない、アリエス。」
この後グレイは一人で、ドートンに向かった。ドートンには一日足らずで着き、程なくして彼は暗黒の民の統率者の下へ通された。そこには、漆黒の甲冑に身をまとった騎士達が並んでおり、彼らの奥に、同じように真っ黒な鎧を着た金髪の男が座っていた。
「これはお久しぶり、グレイ将軍。またお会いできて嬉しいよ。」
「俺の方はあまり嬉しくないがね、ディラント卿。」
グレイはそう言って、目の前の騎士を睨つけた。
「ふふ、恐らく君ならそう言うと思ったよ、その辺が父親そっくりだな。それで、今君がここに来ているということは、用件は一つと考えていいな。」
「お察しの通りだ。俺はここに降伏を告げに来た。そして一番頭を下げなくない奴に、こうして頭を下げている。だから、俺の村の者達の身の安全を保障してくれ。」
グレイは拳を握りしめながら、ぎこちない動きで頭を下げた。
「随分嫌われてしまったようだな。よろしい、その降伏しかと承った。すぐに攻撃を中止させよう。そして君には、再び村へ帰ってもらおう、ただし、私の配下のものと一緒にだが。」
「寛大な処遇、痛み入る。では私はこれで失礼する。」
「随分とお急ぎのようだな。まあ、どちらでもいいのだが。いずれ君の村に細かい指示を出すから、それまでは行動を控えるようにして頂きたい。」
「承知。」
そう言うと、グレイは身を翻し、早足で部屋を出ていった。ディラントは不敵な笑みを浮かべながら部屋を出ていくグレイの後ろ姿を見送っていた。
「くっくっくっ、猛虎の民もああなると無様だな。しかし、これで邪魔物が一つ減った。我らの野望も達成に一歩近づいたということだ。あとは、アシュラム様が復活なさるだけだ。長かった、ここまで長かった。だがもう直だ、もう直の辛抱だ。」
彼は、そう呪文のように呟きながらしばらく虚空を見つめていたが、再び毅然とした態度を取り戻し、整列している騎士達の前に進み出ていった。
「誰か、セリアに攻撃を中止するように申し渡してこい。だが、既に手遅れの場合はそのまま帰ってこい。それから、我々も、いつでも出れるように準備を怠るな。」
「はっ。」
騎士達から整った返事が返って来て、皆一斉に行動を開始した。ディラントは一人含み笑いを浮かべながらその状況を見詰めていた。

††††††††††††

その頃グレイは、不眠不休でウルを目指していた。彼の側には暗黒騎士一人が監視としてつけられている。ようやく、村の見える丘の上までたどり着いた。だが、そこで彼は信じられない光景を目の当たりにした。
「な、何ぃ。これは一体・・・」
彼の眼前には、焼け落ちて煙をあげている家々と、あちらこちらで倒れている村人達の姿があった。
「これは一体どういうことだ暗黒の民、約束が違うぞ。」
「こ、これはっ。わ、私は何もしらん。きっと命令が・・・。」
「問答無用!」
グレイのバスタード・ソードが、横一閃に騎士の首を凪払った。支えをなくした首は、ゴロゴロと身体から転げ落ちる。
「頼むアリエス、無事で居てくれ。」
悪い夢ならば早く覚めてくれと思いながら、グレイは一気に丘を駆け降り、馬を斑へと急がせた。
村の入口に着いたとき、その被害が想像以上に大きいのに驚愕した。焼け残っている家はほとんど無く、村人の死体があちこち散らばっている。その中にグレイは、うつ伏せに倒れている村長のオビトの姿を見つけた。
「長っ、しっかりしろっ。一体何があったんだっ。」
「ううっ、しょ、将軍、申しわけない。あ、あなたが発たれた後すぐにダークエルフの率いる軍勢が攻め寄せてきて、抵抗するまもなく、皆次々と殺されていった。まるで地獄を見ているようだった。い、妹君は、屋敷の中にいらっしゃいました。わ、私は、お守りしようとして来たのですが、ここで力尽きてしまいました。将軍、我らが無念きっと、きっとお晴らし下さい。」
そう言い終わると、オビトは、ウッと唸って絶命した。
グレイは長の瞳を閉じて、手を胸元で組ませてやり、それに向かってしばらく黙祷した後、屋敷に向かって走り出した。
屋敷はあまり燃えてはいないが、略奪された後がそこかしこに見受けられる。奥のアリエスの部屋から、微かに呻き声が聞こえてくる。よかった、まだ生きている。
「アリエスっ。大丈夫かっ。」
部屋の中にはうつ伏せになって倒れている妹の姿があった。肩のところからバッサリ斬られている。かなり深い傷だ。
「アリエスっ、アリエスしっかりしろ。」
「お、お兄ちゃん。やっぱり帰ってきてくれたのね。」
「馬鹿野郎、あまり喋るんじゃない。じっとしていろ。」
「も、もういいの。それよりお兄ちゃん、聞いてちょうだい。わ、私はいつもお兄ちゃんに大事にしてもらってきたわ。それは、私が死んでしまったお母さんに似ていたからだ、とお兄ちゃんは言ってたわ。特にその心優しいところが、と。でも、それは間違いだった。本当にお母さんに似ていたのは、お兄ちゃん、あなただったのよ。」
「馬鹿な、それは何かの間違いだ、俺がお袋似なわけがない。俺は、親父似の、頑固で意地っ張りで手のつけられない奴だぞ。」
「ううん、違わないわ。本当の優しさって、表に出ないものだと思うの。お兄ちゃんはいつも譲って、人より一歩下がっていた。それに、人の心を傷付けることが嫌いで、その為にはどんなに自分が辛くても我慢してた。そしてその優しさは、いつも私の心の支えだった。決して口に出しては言わないけれど、ずっと私を守ってくれていたわ。今もこうして私のところに駆けつけて来てくれた。」
「いいや、俺は約束を果たせなかった。あの物語に出てくる男のように駄目な奴だ。」
「そ、それは違うわ。確かに私はこんなになってしまった。けどお兄ちゃんは、ちゃんと私のところに戻ってきてくれた。私、とっても嬉しかった。死ぬ前にもう一度お兄ちゃんの顔が見れて、そして真実を伝えることができて。だからそんなに自分を責めないで。もっと自分に自信を持って生きていって、お願い。」
「何を弱気な事を。気をしっかり持て。」
「も、もうだめみたい。眠たくなってきちゃった。さ、先に逝ってしまう不悌な妹を許して。お、お兄ちゃん、わ、私はあ、あなたのような兄を持てて、しあわせ・で・し・た・・・。」
そう言ったきりアリエスは、再びその目を開けることはなかった。
「アリエス?アリエス返事をしろっ。悪い冗談はよしてくれ。いつもみたいに俺を困らせて、面白がってるだけだろ。」
しかし、いくら呼びかけたところで彼女が目を開けるはずはなかった。
うおおおおーーーーーーーーーーーぉっっ。
まるで虎の咆哮のように、グレイは天を仰いで叫んだ。
「なぜだ、なぜ神王は我々を見殺しにするのだ。自分の部族が滅びゆく様を、何もせずにただ見ているだけだというのか。」
彼の心の中に、神王に対する不信感が蓄積されていく。
「旅に、出よう。」
彼はそう決心した。何が真実で、そして自分は何を信じていけばいいのか。その答えを得るために、神王バルバスを探すたびに出ることにした。
翌朝、グレイは村人達の墓を作ってやった。これは暗黒の民である母に教わった風習である。その中の一つには白い小さな花が供えられていた。そうして彼は、屋敷に火を放った。その炎を見つめる彼の双眸からは、一粒の熱い涙が流れ落ちていた。これが彼の流した、最初で最後の涙であった。それから彼は旅立った。もう、再び帰ってくることの無い故郷を後にして。

††††††††††††

「あの、ゴットンさん。どうかなさったの?」
そのセイラの声にゴットンは、はっと我に帰った。
「何でもござらんよ、お嬢さま。さぁ、先を急ぎましょう。こっからが正念場なんですからね。」
「はいっ。」
そうだ、今の俺には守るべき者がいる。それに、信じ合う仲間もいる。少しずつだが、答えに近づきつつある事は、間違いないことだ。
彼はふいに悟ったような気持ちになった。
「なあ、ゴットン。宵待草の花言葉って、確か“ずっとあなたを待ってます”ていうやつじゃなかったか。そんなのをお前が知っているということは、お前にもかつてひとロマンスあったってことか。」
エドガーが、思い出したように話しかけてきた。
「まさか。俺に限ってそんなことはない。」
「なあエドガー、ゴットン何か隠し事してると思わないか。」
「ああ、絶対に何か隠してるよな。吐いちまえよ、ゴットン。」
「別に隠し事なんか無いさ。ただ、すべては夕闇の彼方に、てとこかな。」
「な〜んかうまく逃げられたような気がする。」
「いいじゃないか、そんなことはどうでも。それよりほら、見えて来たぜ、ドートンが。」
彼に言われて、皆はっとなりむこうに目をやると、そこにはいつの間にか白みがかって来た空に映る、ドートンの街並があった。全員、気を引き締め直して帝都へと乗り込んでいく。
その彼らの後ろ姿を、白い花の群れがまるで手を振っているように、風に揺られながら見送っていた。



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