銀色の瞳〜ロックとセラ〜☆★☆★ |
森の……道添いの……木々が、たわわに実を結びはじめる季節。風は、ほんのりと冷たくなって、空はずいぶんと高くなった。 その年の春に母親を亡くしたばかりのセイレーン・クリムゾンは、10歳の誕生日を迎えようとしていた。 さすがに、明日はお祖父様の所に行かなくちゃいけないかしら? 明日は、10歳の誕生日。 父と母が、自分のために起こるだろう混乱を避けるため、こんな村の外れに家を設けたことは知っていた。だからこそ、両親ともに亡くした今でも……たった9歳にもかかわらず……頑なにひとりで暮らすことを主張した。 が、さすがに、長と時期長としてではなく、ただの祖父と叔父として小さな少女の成長を祝いたいと言われれば……行かない訳には行かないだろう。実際、独りになってしまったセラのことを心配してくれているのだろうことは、想像に難くない。 御老体をあまり心配させるわけにも行かないしな……。 そんなことを思いながら、セラは手にした果物籠に果物を取り入れ続ける。そろそろ、冬の間の食料の仕込みをはじめる頃合だ。果物は、乾したりジャムにしたりしておけば、冬場のちょっとしたおやつや、お持て成しになる。 そうこうしないうちに果物籠はいっぱいになって、セラはひとつため息をつくと、木々の間に座っている大きな一枚岩に腰をおろした。そう鬱蒼と木々のあるでもないこの場所では、ほんの少し高いところに座っただけで、ひどく見晴らしがよくなる。近くを通る街道の遠くのほうまでよく見渡せた。 彼を見付けたのは、その時だ。 木の実を収穫している最中に現われたのだろうか?そうでなくては、納得がいかない。ここにくるときに、そこをたしかに通ったのだ。その時は、いなかったのだから……。 男の人のようだった。 旅人だろうか? 遠目でみるかぎりでは若そうだし……少なくとも、村の人でないのは確かだった。 眠っているのだろうか?……彼は街道添いの大きな広葉樹の根元に横たわっていた。 「そんなところで寝てないで、お茶でもいかが?」 大きな果物籠を引きずるようにしながら、セラは声をかけた。 いくら冬でないとはいえ、そろそろ風は冷える。こんなところで一休みなんてしてたら、気がついたときには風邪でダウンしてしまう。 ? 様子がおかしい……? セラは、果物籠をその場に置いて駆けよる。 かけよって、思わず息を呑んだ。 マントを掛け布団よろしくまとっていた彼は、傷だらけだったのだ。それも、気丈なセラが思わず立ち尽くしてしまったのだから、それは相当なひどさだ。 辺りを見渡してみたが、誰もいない。 そんなに、果物取りに熱中していた覚えはないのだけれど……。 身体を拭き、手当てを終えて、改めて見ると彼はとても整った顔立ちをしていた。血と泥と埃で汚れていた髪は、サラサラとした奇麗な銀髪だった。セラも銀髪であるのだが、彼の方が少し色が濃いようだ。肌が白いのは、傷による貧血だろうか……。はじめ、17〜18歳くらいだろうと思っていたが、こうしてみると、どうやら二十歳はこしているように思えた。 それにしても……。 枕元で青年の寝顔を見つめながら、セラは思案にくれる。 どこからか逃げてきたのかしら? 彼のケガは、ちょうど……拷問にでもあったかのようだった。 だけれど……。 誰かが、彼をこの近くまで連れてきたのにも、違いはないだろう……。あれだけの傷で、自力で動けるはずがない。おそらく……。 「どこにいったんだろ?」 「ばかっ!!なにしてるの?!」 扉をあけて、セラはあわてた。 夜中に近い時刻。彼が目覚めてはいないだろうかと、様子を見にきてよかった。 彼は、ベットの側に置いておいた果物を入れた鉢の……そえておいた果物ナイフを自らに向けて握っていた。 「だめっ!」 のどを突くつもりかと思ったけれど……違う、彼は目を……瞳をつぶそうとしていた。 なんとか掴みかかってナイフをもぎとることに成功する。彼がケガ人でよかった。そうでなければ、きっと間に合わなかった。 「なにしてんのっ?!」 彼を覗き込んで、はっとする。 彼は、窓から射し込む月の光に酷似した……銀の瞳をしていた。 奇麗……だった……。 「……らない。……こんな……瞳……」 切れ切れに、彼がつぶやく。 「なに?」 聞こえる以上に、唇は動いているようなのだが……。声になっていない、よく聞き取れない。 「いらない……。こんな眼いらない」 聞き取れるのは、繰り返し繰り返し……まるで呪文のように唱えられるその言葉だけで……。 「どうして?」 セラ、そっと彼の首に手を回す。なだめるように何度も何度も髪を撫でて……。それから、ゆっくり視線を合わせた。 彼は一瞬、ひどく怯えたような表情を浮かべたが、すぐにそれは治まって……そして頼りなげな……すがるような瞳でセラをみつめ返した。 「その瞳、とっても奇麗よ。いらないなんて……もったいないよ。こんなに奇麗なんだから……」 彼は微笑んだように思った。 赤ん坊が安心しきって、無防備に微笑むような……そんな笑みを浮かべたように見えた。 それからゆっくりと目を閉じて……そのままベッドに倒れこむ。どうやら、眠ってしまったらしい。 しばらくして、寝言だろうか?……彼の唇がかすかに言葉を紡ぐ。声にはならなかったが……。 ? 人の名前? セラは、自らもたどって唇を動かしてみる。 人の名前……だろうか? そんなふうに思えた。 「あ、目が覚めた?」 状況が理解できていないのだろう、青年は不思議そうな顔で、瞬きを繰り返す。 「ここは……?」 「ここ?あたしの家よ」 できたてのスープを脇において、身体を起こすのを手伝う。 「どこ?」 彼は、不安げにしきりと窓の外を気にしている。 「……イスカリアよ。大蛇の民の集落の外れ……。どう?」 「イスカリア……」 どうやら、ようやく安心したらしい……彼は深いため息をついた。 「起きたばかりだもの、多くはきかないわ。名前だけ、教えて」 「え……?あ、あぁ……。ロック……。ロック・コール……」 「ロックね。あたしはセイレーン・クリムゾン。……だけど、セラって呼んでくれていいわ。とりあえずは、スープが冷めないうちに飲んじゃって」 青年……ロックは、どうやら猫舌なのらしい、随分と冷まし冷ましスープを平らげながら、自分からある程度のことを話してきかせてくれた。 状況的にひどく警戒心をとぎすましているように見えたが、それでもどうやらセラのことを、信頼するに値するとみなしたらしい。それとも、誰でもいい、味方の欲しい程、追い詰められていたのだろうか。 外見どおり銀狼で……ビーストマスターで……。ベルディアに捕まってて……。 「だけど……どうして、ここにいるんだろう……?」 どうやら、激しい拷問から後の記憶がないらしい。 「誰かに、救けられたんじゃないの?あたしは、すぐそこで木の根元に寝かされているあなたを見付けたの。……でも変ね。どうして、その誰かはいなくなっちゃったのかしら?」 試しに言ってみただけだったのだが、とたんにロックの表情が凍りつく。 「まさか……」 そう口にしたんだと思う。あまりのことで、声にならないふうだった。 「ロック?」 「え?あ、ごめん……」 セラの声に応えて、それからぽつりとつぶやく。 「そうだな。そんなはずない……」 今から、約十年近く前のことです。 イスカリア地方に、大蛇の部族の小さな集落がありました。 その集落の中央の広場には、ひとつの高い高い塔が建っており、そこに星織姫というたいそう美しい女性がおりました。 星織姫は、巫女姫として異世界への扉を開く術を知っていました。だからこそ、結界の神獣王ルーミスの下僕によって大切に大切に守られていたのでした。 その星織姫に、ひとりの若者が恋をしました。 その若者とは、長の息子。当然、次の長になるだろうと思われていた長男でした。しかし、巫女姫である、星織姫に恋をするなど、とうてい許されることではありません。 それでも、星織姫がその若者に興味を示さなければ、それでよかったのです。 ところが、星織姫もまた、この才能豊かで人望も厚い若者をいつしか好いてしまっていたのでした。 しかし、巫女姫である以上、星織姫もまた恋をすることの許されない身であったのです。愛し合い、純潔を失えば、巫女としての力も失ってしまうのです。 ですが……。たとえ、それが罪であるとしても、ふたりには立ち止まることができなかったのでした。それほどまでに、ふたりは好きあってしまったのでした。 当然……ばれないわけがありません。 ふたりは、神獣王ルーミスにより重い重い罰を受けるのです。 星織姫は、その任を解かれ、眷族であるレインボーサーペントと意志を通じる術を断たれてしまいました。 若者の方は、ビーストマスターとしての能力を剥奪されてしまいました。もちろん、長になる資格も失いました。 やがてふたりの間に生まれた娘が、父の失ったビーストマスターとしての能力を持っていたのは……神獣王ルーミスの慈悲なのかも知れません。 「セラはビーストマスターなのか?」 「幸か不幸か……」 セラとしては、あまり触れたくない問題だった。自分がビーストマスターでなかったら、たぶん両親はもう少し幸福な人生を送れたことだろう。人々に……両親にさえ望まれた力ではなかったのだ。 「どうして、不幸だと思うの?結界の神獣王ルーミスに選ばれたんだ。名誉なことだとは思わないのか?」 「じゃ、ロックはどうして?」 困らせるつもりではなかった。結果としてそうなってしまったが……。 ただ、銀狼の力の象徴とも言える銀の瞳を潰したいほどに疎んでいるわけが知りたかった。なにか、通じるものを感じていたから……。 「変身……できないんだ……」 しばらく沈黙した後、ロックはぽつりと言った。 「聖地にも入れないみたいだし」 周期の神獣王フェネスに選ばれたビーストマスターでありながら……。 「ごめんね」 セラは謝る。そう、困らせるつもりじゃなかった。こんな言いにくいことを言わせるつもりでもなかった。 ビーストマスターでありながら、変身できないなんて、どういうことなのか興味がないといえば嘘になる。でも……それでも、これ以上、言わせてはいけない気がしてならなかったから。 さすがと言おうか、ビーストマスターであるロックの回復力は、凡人のそれをはるかに凌駕していた。 おそらくあの時は、通常の精神状態ではなかったのだろう……。あれ以来は、取り乱して目を潰そうとすることもなく、比較的平穏に過ごしているようだった。 ケガの旅人というだけでなく、ベルディアに捕らえられていたということもあって、長も村人も彼に対して同情の念を禁じえず、態度はいたって好意的だった。 この村の人々は、神獣王ルーミスから『星織姫』を守護する使命を課せられているためか……近隣の大蛇の民とは少々性質が異なるようで、守りに長けた心穏やかな人が多かったのも幸いだったのかもしれない。 そんな村だったからこそ、セラはここにいることができたのだ。そして、そんな村だからこそ、セラのいてはいけない所だった。 この村の長は代々ビーストマスターだった。現長も時期長も……そして、現長の長男の娘であるセラも……。 セラ自身には、長の地位などどうでもいいことだった。このまま叔父が長になればいいことだと思っていたし、その後は、叔父の子供が継げばいい。 セラの両親が、こんな村の結界の外れに住んだのも、自分がひとりになってもここに住んでいるのも……そのためだということは、周知のことだった。 こんな村だったからこそ……。 だからこそ、混乱の種はないにこしたことはない、と思うのだ。 「全快したら、どうするの?やっぱり、また旅に出るの?」 食事をしながらのセラの言葉に、ロックはふと手を止めた。 「う〜ん……」 ちょっと考え込む。 「たぶん……ね。どうして変身できないのか知りたいし……」 ただ、ベルディア近郊には、とーぶん近寄りたくはないな……と。 「ふ〜ん。じゃあ……」 「ん? なに?」 怖ず怖ずといいかけた言葉を聞き返されて、セラは思わず言葉を飲み込む。 「ん?」 見た目を十歳近くも若く見せる、その銀の瞳と目があって、セラはそのまま黙り込んでしまった。 う〜〜〜〜〜〜っ……。 そんな顔されたら、二の句が継げなくなる。 と。 「セラちゃん、いるかい?」 よほど慌てていたのだろう……ノックもなしに入口のドアが開かれた。 「叔母さま……」 現われたのは、セラの叔父のお嫁さんだった。近くにある大蛇の民の集落からお嫁にきた人で……確か親戚のかたがたが遊びに来られていたような気が……。 「こんな所まで……なにかあったの?」 「セラちゃんも手伝っておくれ。姉さんの所の双子がいなくなっちゃったんだよ」 この村では、ここ10年ほどの間、なぜか子供が産まれていない。恐らく、村の使命が解かれるときが近づいているからなのだろうが……ともかく、子供がいれば、それだけで目立ってしまうのだ。にもかかわらず、見つからないとなれば、それは一大事に違いなかった。 「ロック、あたし、行ってくるから」 セラは、叔母と連れ立って駆け出した。 「沼地の方は、もう捜したの?」 「いや、まだ。……あそこは、時々ウォームが出るから……」 「じゃ、あたしが行くわ。女の人たちは、なるべく村にいて。叔父さま達、林の方を捜してらっしゃるの?」 「えぇ」 と。 「セラ!」 かけられた声に振り向くと……なんて速さなのだろう……。 「ロック?!」 「俺も行く」 「足場が悪いな……」 沼地に近付くに連れて、もちろんどんどん足場はぬかるんで行く。 「足を取られないようにね。深みにはまったら、自力じゃ出れなくなるわよ」 「わかった……」 ロックは歩調を落とす。足元に注意を払っているというよりむしろ、ぜーぜー言いながらついてくるセラを気遣ってのことらしい。 「こんな時だけれど……。セラ、俺と一緒に旅に出るつもりなら、やめといた方がいいと思うぞ」 「ロック……」 やっぱり、気が付いていたんだ。 「自慢じゃないが……俺、非力だぞ。お前のこと、守ってやれないかもしれない……」 と。不意にロックは足を止める。 「あっちの方で、子供の声がする」 指差して、また歩き始める。 セラが耳を澄ましても何も聞こえないのだが……銀狼のビーストマスターは狼の聴力を持っていたはずだ。 が、やがてその声は、セラの耳にも届くようになった。 どうやら泣いているらしい……。 ふたりは、駆け出した。 目にした光景は、いわゆる最悪のパターンという奴だった。 どうやって、幼い双子がここまでやってきたのかは、想像に難くなかった。子供とは、好奇心のかたまりなのだ。 ともかく、片割れが深みに足を取られてしまったらしいのだ。もがくほどにどんどん深みにはまってしまう。もう一方が泣き喚いている岸(?)から、幼い手がひっかいたのであろう跡が、かなりの広さにわたって残っていた。 「動くなよ!今、救けてやるから、おとなしく待ってろっ!!」 ロックは、きょろきょろと辺りを見渡すと、手近で手ごろな潅木を見つけ、いつのまに持ってきていたのだろう……ロープを根元にくくり付けた。 「もてばいいけれど……」 試しに、二度三度とロープをひっぱってみる。幸い、この湿気た地面によほどしっかりした根をはっているのか、びくともしない。 「ロック、あれ!」 その様子を目で追っていたセラは、沼の中の子供に目をやってギョッとした。 最悪を絵に書いたような展開だった。 ウォームである。 こちらの存在には気が付いていないようではあるが、ウォームは目が弱い代わりに振動に敏感だ。見つかるのは時間の問題だろう。 「行って、あの子を捕まえて、もどってくるまで……大丈夫……ということにしなきゃどうにもできないな」 ロックはひとつ深呼吸をすると、ぬかるみに脚を踏み入れた。 「セラ、もしもの時は、俺がウォームの気を引きつけておくから……その間になんとかしてくれ」 「ロック……」 そして、一歩一歩足を進めていく。 どうやら、ウォームも早々に気がついたらしい……こちらへ向かってきているようだ。 「ロック、早く!」 「もう少し……」 ロックの手が、子供を捕まえる。 がばぁっ! ウォームが、獲物を捕まえんと起き上がった。 「しまったっ!」 「ロック!!」 セラは右手を降りあげる。 「精霊シルフよ、汝の風の刃もて、我らに仇なすものに制裁を加えよ」 しゅん……っ! 風がなる。 グオォォォォォォォォ……。 ウォームの表皮が裂け、不気味な色をした体液が吹き出す。 泥を跳ね上げて倒れこみ、のたうちまわり……そして、ウォームは沈んでいった。 「セラ……。精霊使い……?」 「ん。ごめん……。普段、村の人達には、ビーストマスターだって事も、精霊使いだって事も内緒にしてるから……」 「もう、旅に出ちゃうの?」 傷も全快して、荷造りをするロックの背に、セラは名残惜しそうな声をかける。 「ん。ずいぶん世話になっちゃったね」 「とりあえず、行くあてはあるの?」 「いや、特には……」 そして沈黙。 「セラ……」 先に沈黙を破ったのは、ロックだった。 「淋しいの?」 こく……。 セラは、思いの外素直に頷いた。 「あたし……自分の身も守れないような、お姫さまじゃないよ」 それは、小さな声だったけれど。 「そう……だね……」 ロックはつぶやくと、くすりと笑みを浮かべた。 「一緒にくるかい?」 ぴと……。 セラは、ロックの腕に抱きつく。 上目遣いに見上げて……。 「うん」 そして、にっこり微笑んだ。 そして後に、ロックは思うのだ。 あのしおらしさは、演技だったのではないだろうか? と、これは余録。 |