悟りの民☆★☆★



平凡な日々は、突然に破られるものだ。悟りの長であるエドガーは、今、自分の目の前で苦しみに耐えている独りの青年を見下ろしていた。その青年は銀髪。ベルディアの者ではない事はひと目で判る。瞳はしっかりと閉じられていて確かめる事はできないが、他部族の侵入が許されないこの領域で、青年をこのまま放っておくわけにもいかず、エドガーは彼を抱き上げた。
「私が見つけたこと、有難く思うんだな。」


「薬を飲ませておきました。落ち着いて眠ることができましょう。」
「すまないな、リヤク。いずれはばれる事だが、現時点で側近達に話すつもりはない。お前が私の傍にいてくれて本当に助かるよ。」
「とんでもございません。助かっているのは私の方です。私もこの銀狼の青年のようにエドガー様に救けていただかなければ、命はなかったのですから。」
「運がよかったな。下がっていいぞ。」
「はい。」
リヤクは孤高の民である。彼はベルディアに医師として派遣されたが、暗黒の民のあまりの勝手さに耐えられなくなって、ベルディアからの脱走を試みた。しかし、暗黒の民の追っ手に手傷を負わせられ、遠くに逃げる事もできず、悟りの地に逃げ込み、エドガーに助けられたのである。
「エドガー様は、ここに住むどの部族の者も持っていない暖かい心がおありです。ひょっとすると、いえ、必ず悟りの民はエドガー様の代で大きく変わることでしょう。」
リヤクはいつも、口癖のようにこういった。確かに自分は爺やや側近のように、他の部族に対してあれ程までに閉鎖的な感情を持ってはいない。知識を求めるためには様々な部族と語り合わなければならない。そう考えているからである。しかし……、エドガーは改めて、ベットで安らかな寝息をたてている銀狼の青年に目をやった。銀狼の部族に対する彼の心は、孤高の民や牙の部族に向けられる感情とはかなり違ったものだった。憎しみ、怒り--------------
エドガーの母親は一人娘で、悟りの民の族長を産む身でありながら、銀狼の民の男と共に悟りの地を離れたのである。のちに生をうけたエドガーと双子の弟マッシュは、両親と共に過ごす事もできず、悟りの民に引き取られ、血のつながりのない乳母に育てられた。やがて、族長継承の時が迫り、マッシュのことを不憫に思ったエドガーは、彼を自由の身にするかわりに自分が長になったのである。
『かならず母上を見付けて、兄貴に報告する。母上が見つかったら、今度こそ家族で暮らそうな。』
これが、マッシュと交わした最後の言葉である。その日以来、弟からの連絡はない。勿論心配でたまらないが、長としての役割を果たす使命がエドガーにはあった。
家族というものに不愉快な感情を与えたのも、母親の暖かさを知らずに育った事も、弟とでさえバラバラに過ごさなければならなくなったのも、すべて母親をこの環境の中から奪い去った銀狼の男に原因がある。それが、もし母親の望んだ事であったとしても、自分は銀狼の男を許す事はできない。この感情はいつしか部族への憎しみに変わっていた。
(この銀狼の青年を殺してやりたい……)
聖地でもし、この青年が銀狼だと分かっていたら、助けたりはしなかっただろう。リヤクに診てもらってはじめて知ったのである。しかし、ここまで助けておいて殺すわけにもいかない。ならばあとは、何かに利用できるまで自分の傍に置いておくだけだ……。
(それを側近に提案すれば、もしかすると……)


「エドガー様。いまなんとおっしゃったのです?!」
会議室に集まった側近一同、エドガーの言葉に耳を疑った。エドガーはしかし、そんな側近達の慌てようにも乱される事はなく、平然と彼らを見回して繰り返した。
「昨日、聖地近くで銀狼の部族を助けた。かなりの傷を負っていたため、リヤクに頼んで介抱してもらったが……。いまだ目を覚ます気配はない。」
「それは存じあげました。私どもがお聞きしたいのはそのような事ではなく……。」
「銀狼の部族の者の体調が良くなり次第、イスカリア地方に帰してやろうと思う。我々の民に関わったわけでもないので、しかるべき処置をとる必要もない。お前達に集まってもらったのは一応、耳に入れておいてほしかったからだ。」
「他部族ならまだしも、銀狼というのは……。」
「なぜ銀狼の部族が悪いのだ?ロジャート」
「我々、悟りの民の血を汚した部族だからです!お忘れになられたのですか?!」
忘れるわけはない。エドガーは静かに口を開いて側近達に言った。自分の身体の中に銀狼の血が流れていると考えただけでも穏やかではない、と。
「ならば何故、エドガー様はその銀狼の者を助けるなどとおっしゃるのですか。」
「助ける、とは言っていない。彼にはそれなりの責任をとってもらう。しかし、今、ではない。」
わけがわからないといった顔をする側近達に目を通して、エドガーは腰をあげた。後のことはセッツァーと話をつける。お前達は私からの最後の報告を待っていればいい。そう言い残して、エドガーは部屋をあとにした。


「その銀狼の部族の者は、長だというんだな。エドガー。」
セッツァーの部族に出向いたエドガーは、昨日あった出来事と銀狼の青年についてできる限り詳しく説明した。
「リヤクが言うには、その青年の瞳が銀色だったらしい。銀狼の部族は銀の瞳に銀髪の者を長にするという。現在、長だとは言わないが、部族の中でもかなり力の強いものだろうと思う。」
「それで?」
「それをうまく利用すれば、このまま悟りの民がベルディアでの自治を確保していけると考えている。しかしそれには、お前の協力が必要なんだ。」
「ベルディアに売りとばす気なのか?」
「圧力がかかった時にな。それ以外であいつに責任をとってもらう必要はない。切札として使うまでは泳がせておくつもりだ。そのためには監視しておかなければならない。その監視役を私にやらせてほしいのだ。」
セッツァーの顔色が少し変わった。驚きという表情ではなく、なにかに拘っているエドガーに対して「自分はどうすればいいのだろう?」という顔である。エドガーはそんなセッツァーに、なんとか笑顔を作る。
「私の次に力を持っているお前の言葉になら、部族の者も安心して従えるだろう。それに、お前が長としての代わりを務めるなら文句もあるまい。あとはお前自身が、私が再びこの地に帰ってくるまで長の代理をする、というのを承諾してくれるなら、今すぐこの権限をお前に託すが。」
セッツァーはしばらくの間黙っていたが、微かに溜め息をついて「しかたない」と呟いた。
「小さい時から、一度決めた事はなかなか曲げなかったよな。兄貴分としてもお前の事はよく知っているさ。わかった、行ってこい。ついでに、まだ見つからないお前の母親と弟を探してくるがいいさ。……側近達には俺がてきとーに言っておく。……そっと出て行くなら気付かれないようにな。」
「ああ……すまないな。セッツァー」
「……とはいうものの、今すぐ出て行くわけでもなかろう。……一口、飲むか?」
セッツァーがグラスをエドガーに差し出した。エドガーは、一度セッツァーに向けた背をクルリと返すと、素早くグラスを受け取った。その中になみなみとワインが注ぎこまれる。
「では----------------我が城に。」
「乾杯。」
すみきった音が部屋の中に響きわたった。その音を静かに聴きながら無言でグラスに口をつける。「セッツァーの選んだワインは最高だな」と思いながら。


「気が付いたみたいだな。よほど疲れていたのか、寝心地が良かったのか?」
銀狼の部族の青年は、怯えた目をエドガーに向けた。彼の瞳がエドガーの動きに敏感に反応する。それに合わせて、銀狼の象徴ともいえる透き通るような銀色の瞳自体が震えているかのようで、エドガーは不愉快に思った。
「怯えることはない。悟りの民をどのように聞いているかは知らないが、お前を殺そうだなんて思ってはいない。」
青年の警戒心は解けていないようだった。エドガーは溜め息をつくと、ベット近くに自分が今まで腰かけていた椅子を寄せ、足を組んだ。
「俺は、エドガー・L・ヴェルス。ウォーリアだ。お前は?」
銀狼の青年は自分の身体に巻かれたいくつもの包帯に目をやってから、エドガーの顔を用心深く伺い、口を小さく開いた。
「…………俺は、銀狼の部族のスカウト、ロック・コール。助けてもらったのに、変な態度をとってしまって、すまないと思っている …………」
スカウト?ふと不思議に思ってエドガーは聞き返した。銀狼の部族にスカウトがいるだなんて聞いた事がない。もともと銀狼を守護している神獣王フェネスは狩人を守る身であり、そのことは部族の者なら誰でも知っているはずである。自分達が崇拝している神の守護を全く受けていない職業を選んでいるというのは、一体どういうことなのか。
「気の迷い……。だなんて言っても、信じないだろうな……。」
エドガーと目を合わせないように俯いたロックは、軽く笑みを浮かべて、自分を助けてくれた悟りの民に、今までの素性を説明した。
「15の時に村を飛び出したのはいいけど、一人で生きていくためにはレンジャーなんてやってられなくて……。いろいろ考えた挙げ句に、盗賊ギルドの門を叩いたってわけだ。力もそれに合わせた体格もしてないんで当然ウォーリアなんてできないと思ったし。」
(よーするに盗っ人だな)
以外と素直に話すロックの言葉をあいまいに聞き流しながらエドガーは思った。ここに来たのも、所詮はなにかを盗むためだったのだろう、と。銀色の瞳がじっと自分を見つめていることに気が付いたのは、ロックの言葉が終わって、再び顔を上げた時だった。
「だからってドロボウなんかじゃないぞ。」
エドガーは、銀色の瞳の呪縛から逃れられないまま、ロックの言葉を聞いた。まるで蛇に睨まれたカエルと同様。瞳をそらす事すらできなかった。そして、生まれて初めて心の中のすべてを覗かれているような恐怖を感じ、息を飲み込んだ。
「な、…………なんだ?」
「いや、だからってドロボウなんかじゃないって言ったんだよ。」
ロックは、自分がスカウトだったのはかなり前の話で、今はそんな職業からは足を洗ってトレジャーハンターとして各地を回っている。といった。ただ、世間一般でトレジャーハンターといっても聞き返されるだけなので、自分を名乗るときは100歩譲ってスカウトと言っている。これが彼の主張だった。
「だが、しょせんは盗っ人だな。」
「………………」
むっとしたロックの表情を見て、エドガーは我にかえる。こんな事は初めてだ。なぜ、心で思った事を素直に口に出してしまったのだろうか。あまりに自然に言葉が出てしまったので、ロックの表情が変わらなければ多分このことに気が付かなかっただろう。ふと見ると、ロックの表情にはあれから変化がない。何か言わなければならないのだろうが、他人に対して本音を口にした事のないエドガーには、どうやってロックを慰めていいのかわからなかった。沈黙が流れる。
「え………………と。」
「いや、別に気にする事はないよ。ずっと言われ続けていたから。慣れてるし。」
逆にロックに慰められて、エドガーは心外に思う。彼に慰められたからではない。今まで誰一人、自分の心を読み取るものがいなかった環境で育ったエドガーの、「絶対誰も、自分の心がわからない。」と変な意味で自信になっている部分を、この青年はいとも簡単に崩してしまったからである。それが腹だたしかった。
「すまなかったな。」
もうこの話には触れないでほしい。そういう思いで腰をあげたエドガーは、すでに暗くなった空を大きな窓から見つめた。今日の空には星も月もない。まるで、さぁ、いまだ。とエドガーの心を急かしているようだった。
「一応、悟りの民として、目が覚めたら聞こうと思っていたのだが、殺されるかもしれないこの地に何しにきたんだ?知っているだろう?ベルディアとイスカリアの仲の悪さは。」
ロックはゆっくりと身体を起こしながら、エドガーの言葉になかなか答えようとはしなかった。彼の職業から察して、何かを盗みにきたことは確かだろう。聖地の近くに倒れていたということは-----------------。
「それに、どこでそんな怪我をしたんだ?誰かに見つかって逃げてきたのか?」
「…………まだ、話したくない。気を悪くさせるかもしれないけど、もう少し、時間が経ったら、……きっと話す。それまでは……。」
本当にすまなそうな顔をして、ロックは俯いてしまった。まぁ、話したくなければ話さなくてもいい。エドガーもそう言葉を返して、あまり気にするまいと思った。盗みにきた物はなんとなく見当がついたのだが…………。
「身体の調子はどうだ?」
ロックに近づいて怪我の様子をみる。ビースト・マスターだけあって、しかも、銀狼の部族だけあって、回復力はかなりのものだ。これならもう立って歩くことができるだろう。エドガーは、ロックに巻いてある包帯を新しいものに変えると、彼の服をベットの上に放り投げた。顔を上げたロックと目が合う。
「動けると思ったら、静かにここを出ていくんだな。」
ロックはじっとエドガーを見つめ、なにかいいたげに口を開きかけたが、言葉はそこから出てはこなかった。
「なんだ?」
「こんなこと、俺が言っていいものかどうかわからないけれど、……エドガーは、ここにずっと、いるつもりなのか?」
「なぜそんなこと、聞きたがるんだ?」
少しの沈黙の後、お前が悟りの民であることが、不思議でたまらない。どうして、お前のような者が、この地に留まっていることに満足しているのか。なぜ、この領域の外に憧れないのか。出てみるつもりはないのか。ロックの口から様々な疑問がエドガーに投げ掛けられた。
「すこしでもここを出てもいいという気持ちがあるのなら、俺と一緒に…………。」
「…………気をつけて行くんだな。」
初めて、ロックに笑顔を見せて、背を向けたエドガーは、静かに部屋を出ていった。


日が昇る少し前、ロックはベットから体を起こすと、まだ薄暗い空に目をやった。今から出れば宿場町にはちょうどいい時間に着くだろう。昨日の晩、エドガーが覗いていた大窓を開け放して、地面までの高さを測る。それから、部屋に纏めて置いてある自分の荷物を手にとって、その中からかなり長いロープを取り出し、マントを掛けるために床に固定してある掛け棒にその先端を括り付けた。念のため、二・三回強く引っ張ってから大窓の外に垂らす。
(さて…………と。)
短剣を腰にさし、荷物を肩に担いでから、少しの間動きを止める。発つ前に、エドガーに声をかけなくてもいいだろうか。昨日の様子からいって脈ありではあったが、実際、声をかけたからといって、素直に自分の気持ちを行動に表しそうなタイプではなさそうだ。それなら、このまま何も言わずに出ていったほうが彼の為にもいいだろう。無理に悩ませる必要もない。ロックはロープを手に取ると、夜明け間際の暗闇の中に姿を消した。


宿場町に着いたのは、悟りの地を出て二時間後。朝飯を食べるのに丁度いい時間だった。ロックは一番人気のない、静かな店を選んで、椅子に腰を落ち着かせる。すでに国境を越え、イスカリア地方に入ってはいるが、ベルディアに一番近い町であるために油断は禁物である。そのために彼は、店に入っても、フード状にスッポリと頭に被せてあるバンダナを取ろうとはしなかった。
「銀狼の部族がこんな所で食事とは。しかも、職業はスカウトか。尚の事珍しい。」
声をかけられたのは、食事も終り、これから出発しようかと席を立った時だった。声の主は、ロックが座っていた椅子の反対側に腰掛けると、随分と待たせてくれたな。と、半ば吐き捨てるような口調で言った。
「お前の事だから、昨日の夜には出発すると思ったのだが……。的を外したみたいだな。」
「エ、エドガー?!」
「改めて名乗らせてもらおう。俺は、悟りの民のウォリアー、エドガー・L・ヴェルス。お前は?」
「お、俺は、銀狼の部族のスカウト、ロック・コール……。」
「ロック、か。これから長い旅になりそうだな。よろしく頼むぞ。」
「は?」
彼が言うには-----------すでにロックを旅の道連れに、もとい、自分の仕事を手伝ってもらうために雇ったらしかった。エドガーは唖然としているロックを伺って、俺がお前を雇うことになにか不満でもあるのか?都合が悪いのかと聞いた。
「じ、冗談じゃない!俺は…………!」
「第一、お前を雇おうと俺に決心させたのはお前の言葉だ。旅に出ようと思ったのもな。悔やむのなら、俺を誘った自分を悔やめ。」
……こんな奴だとは思わなかった。悟りの民は自分の感情を押さえてまで知識という実体のないものを追い求めていると聞いていたのに……。
「ただひとつ、問題がある。」
何時の間に注文していたのか、朝食を前にエドガーは呟いた。ロックは心なしか退きながら、次の言葉を待った。
「城には何も言わずに出てきてしまったのでな、何かあったときは、お前に責任をとってもらいたい。」
「なに--------------------?!なんで俺が?!」
「当たり前だ。大体、旅に出るのを、あの部族が承諾すると思うか?」
「う……」
反論することが出来そうにない。そう悟ってロックは茶色い小さな袋から、一粒の水晶玉の光るネックレスを取出し、エドガーに差し出した。
「これは?」
「俺が、村をでて最初に受けた仕事の報酬に貰ったものだ。お前を誘っちまったことへの謝罪とまではいかないけれど持っててくれ。契約も兼ねてな。それが再び俺の手元に返ってきた時が契約解除ということにしよう。」
あっさりとそういって、ロックは椅子に腰掛ける。エドガーは手渡されたネックレスをしまいこむと、うっすらと笑って、食事に手をつけはじめた。
「わかった。貰っておこう。そのかわり、あとで後悔しても私の責任ではないから、そのつもりでな。」
ロックは「わかったから早く食え。早くしないと置いていくぞ。」とそっぽを向いたまま呟いた。エドガーは、ロックのそんな態度を見つめると、口の端を軽く拭いて、ロックより先に椅子から立ちあがった。
「では、出かけようか。」


災難を真っ先に感じ取る事が出来たなら、俺はエドガーと逢うことはなかったし、いつまでも村に残ったまま、村人の一人としてカイルという長に付いていっていただけだろう。そんな自分に納得することが出来なくて、俺は自由を選び、どんなことになっても他人だけは恨むまいと誓って、今に至る。実際、この決断は、ある人物をぶん殴った事で脆く崩れ去ったのだが……。それは数に入れないとして。とにかくエドガー、セラ、セイラ、ゴットン、キーアには感謝している。口では言えないので、文章にしか出来ない俺を許してほしい。そして……エドガーには別の意味で感謝している。エドガーの行動自体は簡単に許せるものではないが……。セラやゴットン、セイラに逢えたのは紛れもなくお前のおかげだ。俺は別れよりも出会いが何より好きだから…………。



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