銀の契約☆★☆★ |
コツコツコツ…… 廊下から聞こえてくる足音が静寂を破る。 俺はその音にいらだちをおぼえながら静かに目を閉じる。 手の平から汗がにじみでてくるのがわかる。 -----俺のやり方は間違ってはいない------ そう自分に言い聞かせる。何度も、何度も……繰り返す。 気が付くとそばにはあいつがいた。 『……俺の名はロック・コール……』 ……何だ?俺はお前のことを知っているのに今更自己紹介か?一体何のマネだ。 ロックに近付こうとした。が、何かに行く手を遮られていて身動きが取れない。 次の瞬間、ロックの姿が血の色に染まった。ズタズタに引き裂かれた服とマント。血でにじんだバンダナ。両腕、両足には枷がつけられていた。 とても正視できる状態ではなかった。俺は思わず目をそらした。 『……ど……う……して……』 ロックの声は微かに震えていた。俺はその質問に答えてやらなければいけないような気がして向き直った。 -----それが……よく分からない。とにかく、ここから逃げ出そう しかしその言葉は声にならず、代わりに思いもしない言葉が口をついて出た。 「……あまり人を信用しないことだ……」 それはあまりにも低く無気味な口調。背筋に悪寒が走った。 何故だ……?なぜ、こんなことを言わなければならない? ふと目線をずらすと、血に染まった鈍器のような物があった。おそらくロックはこいつで殴られたのだろう。目線を少しずつ上げてみる。 そいつは俺の手の中にあまりにも自然に、すっぽりとはまっていた。 ロックを傷付けたのは紛れもなくこの俺なんだ…… そう認識するのに時間はかからなかった。 今すぐ逃げ出したいと思った。が、足が竦んで動かない。 『……いやだ……うそだろ?……そうだと言ってくれ……』 はっとなってロックを見た。……血の涙?いや、涙に血がにじんでそうなっているのか…… 心に鎖がかけられた。もう断ち切るなんて出来ない…… -----------夢…………? ほおに冷たい空気が触れ、俺は目を覚ました。テーブルの上にあるローソクだけが唯一の明かりのようだ。いつも間にか眠っていたらしく、すべてがやりかけのままになっていた。 まだはっきりしない頭をふる。そしてゆっくりと辺りを見回した。その部屋はとても広く、花ひとつ飾っていない。それが逆に圧迫されるほどの何もない、殺風景な部屋。 ここはヴェルディアの本拠地だ。……あぁそうか…… 俺はロックを売ったんだった………… 握り締められているいくつかの金貨が何よりの証拠だ。 スリク製のアンティークなテーブル、そして床には金貨が散らばっていた。 その数は悲しいほどに多く、俺を責めたてる。夢で見たあの鎖のように、がんじがらめに俺を縛り付けてはなそうとしない。 ロックを売る際に手渡された金貨だ。お礼金と言ってよいだろう。 「断る。金が目的であいつを売った訳じゃない」 「マァ、ソウ言ウナ。イカニ我々トイエドモ、ソレクライノ事ハ分カル。勿論、悟リヲ標的カラ外ソウ。ソレトハ別ニ、ダ。コレクライハシナイト悪イト思ッタノデナ。大切ナ、オ仲間サンダッタノダロウ?」 後の方は含み笑いが込められていた。ヴェルディアの紋章が入った軍服。声の主はダークエルフ。整ってはいるが、冷たい顔立ちは不気味さを引き立てる。先ほどのセリフは俺の動揺でも誘おうとしたのだろう。 -----------甘いな…… 俺は沸き上がる感情を表に出さず深く息を吸った。 「……ならばこれはもらっておこう。おまえ達、暗黒の部族を完全に信じた訳ではないが、悟りに手出しをしないでいただきたい。……追い詰められた獣をみくびられぬよう。」 整った顔立ちがピクリと微かに歪んだ。 「……ソレハ脅シノツモリカ?」 俺は気にせず、なおも続ける。 「……どうとでも取るがいい。それと、あと一つ、大切な仲間なら私は金を受け取らない。……私を試すようなマネはしないことだ」 普段なら余計なことは言わない主義であったが、気が高ぶっていたせいだろう。そして、少なからず自分に言い聞かせるためでもあった。 奴の右手が上げられた。俺は目をそらさず、あくまでも冷静にその状態を眺めていた。そこには何かの空間があった。 間。暗黒の将軍はフッと不敵に笑うと、部屋へ案内すると一言付け加えて歩き出した。 俺は今、その案内された部屋にいた。この闇が消えれば馬車が用意され、俺は帰るべき場所に帰るだろう。もう復讐は果たしたのだから。 そう。復讐だ……これは復讐なんだ…… 全身が震え上がるのを感じ取った。が、すぐにおちつかせる。 「……これが俺だ」 そのつぶやきは暗く静まり返った部屋に溶けた。 銀狼の血。自分にも流れているそのいまいましい血に対し、俺自身が決断を下した。 復讐という名の決断を………… 俺と弟は両親の温もりを知らぬままに育った。けれど兄弟二人、寂しくはなかった。幸せな日々。それを破る事実がすぐ近くまで近付いていることも知らずに……。 半分銀狼の血が交ざっていると分かった時、愕然とした。 本当の父を知る喜びより軽蔑を覚えた。 しばらくして、俺と弟は祖父に呼び出された。 どちらかが長になるという話だった。 おそらく真実を知った俺達が両親に会いに行くのを恐れてのことだろう。 その時点で俺は、俺の自由を弟に託した。 すべてにおいて素直に喜ぶ事の出来る弟にこそ与えられると思ったから。 いや、それは綺麗事で、自分が両親に会ったとしても感情を押さえられるかが不安だった。これ以上、痛くもない腹を探られるのはいやだと思った。 自分をかえたくなかったし、かわりたくなかった。 とにかく、長になるということは王族のためでもなく、弟のためでもなく、俺自身のためだった。 そして、この城と民と共に生きて行くことを誓った。 銀の瞳を実際にこの目で見るまでは。 父の瞳の色は銀だと聞いた覚えがある。 ロックは同じ銀の瞳を持ち合わせていた。 吸い込まれそうなほどの澄んだ銀の瞳。 俺にとっては散々悩まされる原因となった憎むべき父親の瞳。 銀色のそれは俺の中にある銀狼の血をも引き出そうとするのか? この、ある意味魔力を秘めているような瞳をもつ父親に、初めて、会ってみたい、そんな気になった。気まぐれだと言ってしまえばそれまでだったが、俺は俺の中に流れているもう一つの部族を確かめる必要があると判断した。 何かが変わるかもしれない。そんな都合の良いことを予想して…… 結果は………………否 銀狼の民の故郷、イスカリアでは当の本人に会うことは皆無だった。 ちょうど俺が村を発った時期に、あっけなく山の崖から滑り落ちて死んでしまったということだった。 そして、一緒に住んでいた悟りの女と息子らしい青年は逃げるようにイスカリアの地を出ていった、と。……これが現実だった。 知りたくなかった。こんなことになるのなら。 ひとしずくの冷たい涙がほほをつたう。 俺は完璧に父親にしてやられたのだ。 父親を殴るために用意されたこの右手の拳は行き場所を無くし、冷たい涙は俺の顔を同じように冷たくした。 俺は静かに笑った。 もちろん、それ以上二度と涙は出てこなかった。 ベルディアにたどり着いたのは、弟を探すためだった。砂漠にある蜃気楼のような情報でここらへんにいるだろうというところまでこぎつけたのだ。 もはや母親に会う気は無かった。 これまであった俺の馬鹿げた執着心は現実的な打撃を受けたことで不発弾となり、無関心という感情に形を変えていたのである。 俺の両親は最初からどこにもいやしないのだ。 弟を連れ帰ろう。弟は確かにいるのだから………… どれくらいの時間が経ったのだろうか、今までそこにあった光の根源は断ち切られ、かわりに辺り一面、破ることの叶わないほどの暗闇が俺を包み込んでいる。 煙とあの蝋の独特なにおいが鼻を突いた。 これ以上何も考えるまい。こんなことを思い出すなんてどうかしている。 ----------明らかに俺は迷っていた。決心を鈍らせていた。 「浅ましい奴だ…………」 何が鈍らせているのかは分かっている。友情なんていう馬鹿馬鹿しい存在だ。 実際、ロックと出会ってからの二年間、一緒に旅をすることで今までのことは忘れてしまいそうなくらい楽しかった。 本などの資料でしか見たことの無い物を目の当たりにするということは、何よりも感動を誘うものであったし、ロックはそこへと導いてくれた人物であったから感謝をするべき存在でもあった。 だが、それももう終わりだ。 今までの事ははしかのようなもので、ただ新しいことがめずらしく、熱を上げていただけで、今それが治って俺は元に戻っただけなんだ。 その証拠として最初の目的、本来の目的を実行した。ただそれだけだ。 俺は気を紛らわすため、散らばっている金貨を拾い集めようと思った。 一つ一つ丁寧に、時には無造作にまとめて袋にいれる。 そんなことを繰り返すうち、大分気持ちが落ち着いてきた。 今にして思えば、こうなることを全く考えていなかった訳では無かった。 ある程度の予測はしていた。 人間、最悪の事態を一度は考えるものだ。幸せの絶頂の時、それを考えるか考えないかは個人差があるのだが………… 少なくとも俺は前者の方だった。 計算外だったのは、俺の動揺。はっきり言って、ここまでの動揺だとは思わなかった。そしてそれは同時に、俺にも人の心があったのかと自分のことながら感心したものでもあった。 さっきまでの俺の状態を動揺だと呼べることが出来る位だから、落ち着いているという言葉に偽りは無いだろう。 そして俺はまたひとつ金貨を拾った。そしてもうひとつ…… 金貨はもう、それ自体の何物でも無かった。 ---------これは…… そこに金貨とは違うものがあった。はじめは暗闇のせいでよく分からなかったのだが、手触りで俺の意識がはっきりと一つの答えを出していた。 白銀の水晶の契約。--------契約はまだ継続していたのだ。 俺は間違ってはいなかった。何事においても冷静に完璧に判断してきた。 すべては完璧に行われていたはずだ。 しかし、水晶がもたらしたことは契約の破棄を告げるのもではなく、感情の歯止めを外すものであった。 感情が少しずつ動き出す…… 完璧だと思っていたことは完璧すぎて逆に不自然だったのか。 そのとき、それは現われた。金色の衣をまとった、まばゆいばかりのしなやかな、気高い獣------リュンクスは俺をじっと見つめていた。 何を物語っているかは一目瞭然であった。 これが幻であろうと何だろうと関係なかった。 「堕ちてやるよ……地獄まで」 立ち上がり神経を集中して暗闇を自分のものとした。 リュンクスはドアの前にゆっくりと近付いた。 するとドアはほのかな光を放ち、ひとりでに開いた。 はじめて差し延べられたグラスに |