銀の子供達☆★☆★



銀の色を纏うもの----それは、最もフェネスに愛された従者たるもの
人の身に、色が現われるのは、髪と、そして、瞳。
その片方にでも、銀が現われたものは、銀狼の民にとって、特別な存在となる。
民を導くもの-----彼らは、フェネスに代わり、道を示す。それは、たいて長という地位を彼らに与えた。

ある年、ある銀狼の集落で、相前後して二人の子供が生まれた。二人とも、見事な銀の髪を与えられていた。
村人は喜んだ。フェネスの祝福が我らの集落に与えられた、と。
しかし、争いを予感し、案ずる者もいた。どちらが長を継ぐのか、と。
しかし、その心配は、赤子の目が開いた時、喜びに変わった。
数日遅れで生まれた赤子の瞳は、見事な銀であったのである。
長となるべきは、この赤子。銀に祝福された、この子供……。
村人の誰もがそう思い、二人の銀の子供が、やがて、長とその腹心として、集落を率いていくことに疑いを持つものは誰もいなかった。
そして、時は流れた…………


シュッ…………ストッ
きれいな弧を描いて飛んだ矢は、あやまたず的の中央を射抜いていた。
射手は、十四歳の少年。その年にして、すでに村で有数の弓の腕を誇っていた。美しい銀の髪をやや長めに伸ばし、今は後ろで束ねている。厳しく的を見つめるその瞳は金色に輝く。名をカイルといった。
少年は息を整え、二本目の矢に手をかける。弓は狩人を守護する銀狼の民にとって、神聖な武器。この集落には、祭器とされる弓が安置されていることもあり、弓の名手は多い方である。その中でも、カイルは将来有望とされていた。
精神を集中させているカイルの背後で、通りすがりの村人が話しているのが、風に乗って聞こえてくる。
「本当に、練習熱心だなぁ、カイルは。弓の腕も文句はないし。今度の儀式で祭器の弓の引き手、カイルに決まったんだろう?さすが“銀の子供”だよな。」
「あぁ、将来が楽しみだな。」
村人の声を意識の端で聞きながら、カイルはきりきりと弓を引き絞っていく。弓から矢が放たれるのと、村人の次のセイフが放たれるのが、ほぼ同時であった。
「きっと、ロックを助けて、この集落を導いていってくれることだろうな。」
矢は的を大きくはずれ、背後の木に突き立っていた。


-------------どいつもこいつも、ちっともわかっちゃいない…………
村の中をカイルは一人歩いていた。金の瞳には、苛立ちと怒りの色が浮かんでいる。
祝福された子供と呼ばれ、幼い時から、村人の期待を背負ってきた。そして、カイル自身もその期待に応えようと、努力を積み重ねてきた。弓の腕にしてもそうだ。村人達の言うような、天賦の才などではない。それだけの努力をしてきたのだ。
しかし……どんなに努力をしても、村人たちの視線が弟分だと思っていたもう一人の子供に向けられていることに気が付いたのは、いくつの時だったか……
“きっと、ロックを助けて、この集落を導いていってくれることだろうな。”
村人の言葉がよみがえる。
“ロックを助けて”
そう、どんなに自分の方が優れていようと、ただひとつの要因によって、村人たちにとっては、ロックの方が格上なのだ。
だが、それならば、それでもかまわなかった。自分に金の瞳が与えられたのも、フェネスの意志なのであろう。真の銀の子供、ロックを補佐し、集落を導いていくのもいいだろう。
そう思っていた。
しかし、あいつは……ロックは……
「カイル?」
不意に背後から声がかえられた。
「儀式で、弓、引くんだって?すごいな、おめでとう。」
ためらいがちに続ける声を、カイルは背中を向けたまま無視した。
「…………カイル……?」
「……儀式には……また出ないのか?ロック。」
振り返ることなく問い掛ける。背中に言葉に詰まる気配が感じられた。
「……俺は……」
答えはいつも同じ。……沈黙。
年に一度の儀式にもかかわらず、ロックがまったく聖地に近づかない理由を、カイルは何度彼に尋ねたことだろう。
長の座を捨てるというのなら、自分にも、そして村人達にも、納得のいく訳を示せ、と。
振り返ると、唇を噛み締め、同じ銀の髪を持つ少年が立ち尽くしていた。前髪の間から覗くその瞳は自分が望んで得られなかった色をしている。
「皆はどうやらお前の方に弓引きをさせたいらしいがな。お前が出ないお陰で、俺にお鉢が回ってきたという訳だ。ゆずってやっているつもりか?俺も馬鹿にされたものだ。」
「そんなつもりはっ!」
「それならば儀式に参加しろ。俺と、正面から勝負してみろよ。馬鹿にするのもいいかげんにするんだな。」
吐き捨てるように言って、カイルは拒絶するように背を向けた。
それ以上の反論は返ってくることはなかった。それがよけいにカイルの苛立ちをあおった。
いっそ、ロックが自分以上の才覚を見せるか、もしくは、自分に劣るとはっきりわかればいい。長の腹心に徹するなり、自分が長になるべく動くなり、態度を決することが出来る。なのに、奴は動かない。それだけの力があるのかもわからぬままに、その銀の瞳が村人たちを魅了し続けるのだ。
「なぜ……どうして、あんな奴に銀の瞳を与えたもうたのか……フェネスよ。」
苛立ちが日に日に増していくのを、カイルはどうすることも出来ずに溜め込んでいっていた。


例年通りに、滞りなく儀式は終了した。
集落のもののほとんどが参加する儀式の場、聖地に、今年もやはり、ロックとその母の姿はなかった。
数日が経ち、カイルは十五才になっていた。
その日、カイルがいつものように日課を終え、床についた時……かの声は突然送り込まれてきた。
“…………カイル…………”
凛とした威厳のある声が、彼の名を呼んだ。身を起こしたカイルの視線の先には、銀に輝く月の姿があった。
「フェネス?!」
即座に床から抜け出し、月に向かってひざまずく。声が名乗った訳でもない、初めて聞く声であったが、その声はまさしく神の声であった。理屈ではない。わかるのだ。
カイルは喜びに胸を震わせた。
フェネスは、周期の終わり以降、イスカリアの森からその姿を消し、滅多のことでは従者の前にも姿を現すことはなくなっていた。
そのフェネスが自分に語り掛けている。髪は自分を認めてくれている!
“……カイルよ…………聖地に参れ……”
「聖地に……?」
神の声に導かれ、カイルは聖地へと向かった。


美しい輝きに満ちた満月が、中空にかかっていた。その光は惜しみなく聖地に注がれ、凛と張り詰めた空気が丘のふもとに立つカイルの肌を刺激する。
十五才は、神獣の従者としての力、タレント、を与えられるほぼ平均的な年齢である。部族のうちでも神獣に認められた限られたものにしか与えられることのないその力を、カイルは望んでやまなかった。ひとつの部族に二人の銀色を与えられた子供。銀の瞳を与えられなかった自分は、本当にフェネスに必要とされているのか……それはここ数年、ずっとカイルの中にあった疑問であった。
しかし、フェネスは聖地に自分を呼んでくださった。この俺を……!
そのことだけで、カイルにとっては、村人たちの期待がたとえロックに向いていようとも、そんなことはまったく意味のないことになっていた。フェネスが自分を認めてくれるのならば、長の地位などどうだっていい。ロックがどんな態度をとろうと、かまいはしない。
誰かに、存在価値を認めてもらうこと。
それこそをずっと求めていたのだ。カイルは歓喜に震えながら聖地に足を踏み出した。
銀色の、月の光の粒子が体を包み込むのが感じられる。聖地が優しく彼を受け入れ、ゆっくりと体が変わっていく……
それは、フェネスの従者の証し……。ビーストマスターとしての力を受入れた印。聖地において美しき銀狼の姿を取ることを許されるのだ。
カイルがゆっくりと目を開いた時、彼は輝かしい眷族の姿を取っていた。自分の中にビーストマスターとしての力が感じられる。それは、部族を導く義務感と誇りとともにカイルの中に根づいていた。
“フェネスよ……感謝します……”
神をたたえるカイルの遠吠えが、聖地に響き渡った……


聖地に接する森の繁みをかきわけて、彼がそこに姿を現したのはその時だった。
振り返った金の瞳の銀狼を、戸惑いの色を宿した銀の瞳が見返していた。
「…………カイル?」
聖地の境で迷うように立ち尽くしてこちらを見つめているのは、もう一人の銀の子供、ロックであった。
“やはり……フェネスは、ロックをこそ長に望むのか……”
軽い失望を感じながらも、カイルの心は穏やかだった。それならばそれでいい。そう思って、カイルはすっと脇に避け、ロックに聖地への道を示した。
それでも、ロックはかなり長い間、そこに立ち尽くしていた。
なにを迷うことがあるのか……と、カイルが苛立ちを感じ始めた時、ロックが意を決したように聖地の中へ踏み出した。
そこには、もう一頭の銀の獣が現われる……はずであった。
“な…………!!”
カイルは我が目を疑った。彼の目の前で銀は紅に染まった。
驚きの余りに動くことも出来なかった。ただ、ただ、呆然と、足元に倒れ伏したロックを見ていることしか出来なかった。一体なにが起こったのか、カイルにはまったく理解することが出来なかった。
“聖地にロックが足を踏み入れて……それで……血が吹き出して……。聖地がロックの存在を拒んだ……?どうして?”
血に染まったロックのかたわらにそっと歩み寄る。彼の瞳は閉ざされ、意識を失っているようだった。
“ロックはビーストマスターではないのか?しかし、それにしても聖地に入れない神獣の民など……”
頭の中をさまざまな疑問がうず巻いていた。呆然として、ロックを見下ろしていたカイルは、いつの間にか傍らに一頭の銀狼が歩み寄っていたのにも気が付かなかった。
その銀狼は、倒れたロックの肩口の衣類をそっと咥え、聖地の外に連れ出した。そして、そのまま振り返り、カイルを見つめる。
その銀狼の意識がカイルの中に流れ込んできた。
“彼に手当てを……”
銀狼の言葉で我に返ったカイルは、聖地から出て銀狼からロックを受け取った。全身に細かな傷が走り、赤い血をにじませている。痛みのためか、小さくうめきはしたが、意識を取り戻す気配はない。
銀狼はいとおしそうにロックの血のにじんだ頬を舐めた後、すっと身を引いて再びカイルを見つめた。
“このことは部族のものたちには内密に……”
銀狼の言葉にカイルははっとして見返した。銀狼の瞳は、反論を許さない厳しい光を宿していた。
“我らが神のご意志です。くれぐれも内密に……”
去っていく銀狼を見送りながら、カイルは心が冷えていくのを感じていた……


氷の季節が近づきつつある森の中……。忘れられた小さな小屋がある。
長い間放っておかれた暖炉の中に、拾ってきた枯れ枝を放り込みながら、カイルはぱちぱちと爆ぜる炎を眺めていた。
小屋の外は、まだ夜の闇に閉ざされている。満月は森の木々に遮られ、この小屋にはその光を投げ掛けることはない。小屋の中を照らすのは、ちらちらと揺らぐ暖炉の炎のみ……
カイルは、手に抱えていた枝の束をそのまま暖炉に放り込み、立ちあがった。歩み寄った先には白い包帯に赤く血をにじませながら眠る銀色の少年がいる。
ここまで運び、手当てを施したのはカイルだった。
心の中が空っぽになってしまったようだった。銀狼が去った後、手当てを終え、暖炉に火をおこすまで、カイルはなにも考えることが出来なかった。ただ、銀狼の言葉のみがうつろな心に響いていた。
“我らが神のご意志です”
「フェネスよ……俺は…………」
無意識のままに、つぶやきが漏れる。その声が聞こえたのか、寝台の中の少年が身じろぎをし、ゆっくりと目を開けた。自分のおかれている状況をつかみかねて、しばらく視線をさまよわせた後、その視線が立ち尽くしているカイルを捕らえた。
「……カイル……?」
まっすぐに視線がかち合う。暖炉の赤みがかった光を受けながら、ロックの瞳はまるで自ら輝いてでもいるかのように澄んだ銀色をしている。
「俺……」
起き上がろうとして、傷の痛みで包帯の存在に気が付き、困惑の表情を浮かべる。
「おまえは聖地に拒まれた。」
カイルの口から放たれたその言葉は、不自然なくらいに感情が感じられなかった。しかし、その内容こそがロックを激しく打ちのめし、その事実には気が付くことはなかった。
「あ…………」
ロックの全身がショックに震えていた。
「聖地に拒まれた神獣の民など、聞いたことがない。」
たんたんとしたカイルの声が、更に彼を追い詰める。
「俺……俺は…………」
救いを求めるようにさまよう視線が、再びカイルの金の瞳を捕らえた。不意にカイルの瞳が激しい感情に彩られ、叩き付けるように叫びが投げつけられた。
「聖地にすら拒まれたお前が、どうしてその瞳を持っている?!どうして!!なにゆえにフェネスは…………!!」
-----------------それにもかかわらずお前を守る?!
後半は言葉にはしなかった。
叫びによって、凍り付いていた心の鎖がはじけ飛んだかのようだった。カイルの心の中に激しい憎しみが渦巻いていた。何に対する……?ロック?村人たちに?それとも、我らが神フェネス?
-------…………教えてなどやるものか。フェネスがお前をこそ望んでいることなど……銀狼の言葉など、絶対に教えてなどやらない。苦しめばいいんだ。お前など……!銀に愛されたお前など!!
暗い、醜い憎しみの炎が燃え上がっていた。すべてのものが憎くてたまらなかった。その感情のみが、カイルを支配していた。
「………………」
言葉もなく、こちらを見つめるロックがふと目に入った。
“銀の髪……銀の瞳……フェネスの申し子……聖なる子供……”
村人たちが彼をたたえて言うさまざまな言葉が浮かんでは消えていった。同じ村に生まれ、同じ銀の髪を与えられ……。ただ、瞳の色のみを異にしていたロックと自分……。どれほどのことが違うというのか……。自分の努力は無意味だとでも?!
------------いっそ……銀を汚してしまおうか……
不意にそんなどす黒い感情が闇の中から忍び寄ってきた。
------------彼の愛し子を汚してしまったなら……フェネスは俺を切り捨てるのだろうか……
カイルの右手が、ロックの肩をつかんだ。驚いたように顔を上げたロックの瞳に激しく燃え上がる暖炉の炎が映っている。
小屋の中は、暗く闇がよどんでいた。
銀の月は遠く彼方…………愛しき子供たちのもとには届かない…………


「やめ……っ!……カイル!!」
上着を力ずくで引き裂かれ、ロックはその瞳に恐怖の色を浮かべて叫んだ。そのまま、肩を押され、寝台に倒れ込む。ぎりぎりと肩に食い込むカイルの指先が、いまだ生々しい傷口をえぐる痛みに、ロックは呻き声を上げ、そこから逃れようとする。
「カイ……カイルっ!なにを……」
見上げたカイルの瞳の中に潜む狂気に気付き、ロックは言葉を失った。本能的な恐怖に体がこわばる。その一瞬の隙を突いて、カイルはロックの抵抗を押え込み、上着の切れ端を邪魔そうに押しのける。
上着を裂いた勢いで、丁寧に巻かれていた包帯もほどけかかっていた。やっと出血の止まったばかりのその傷痕を、カイルの唇がひとつひとつ確かめるようにたどっていく。その度にひきつるような痛みに襲われ、ロックは小さくうめいた。
冷たい唇……だった。相手を傷付けることこそを目的とする行為であると主張している……そんなくちづけだった。その唇が傷痕をたどるたびにロックの心に深い傷を残していった。愛情ゆえでは決してない。それはそんな行為であった。
カイルの唇が首筋に至った。かすかに血をにじませるその傷痕を舌がなぞる。とたんに、ロックが大きくのけぞった。
「いやだっ!!」
痛みとは違う感覚に戸惑い、ロックは両腕でカイルをつっぱねる。カイルは、不快そうに表情を歪め、肩を掴んでいた右手に力を込めた。
「……っ!!」
痛みに思わず力が抜ける。傷が開いたらしく、左の肩にぬらぬらとして感触が広がる。
「……逆らうな……」
冷たい声がロックの耳を打った。金の瞳がロックをまっすぐに貫いていた。縛られたように身動きの取れないロックに、再びカイルは唇を寄せていった。
「く…………ぅ…………」
ロックのかすかなうめきは闇に吸い取られ、抵抗を封じられた両の腕は苦し紛れにシーツに波を作るばかりであった。


「あ……ぅ……!!」
貫かれた時、叫ぶことすら出来ないくらいの痛みがロックを襲った。目がくらみ、意識を手放しそうになる。……いや、むしろ意識を手放していた方が、どんなにか楽だっただろう。だが、そんな逃げ道はカイルによって簡単にふさがれてしまっていた。
ロックが意識を手放そうとする度に、体のどこかの傷がカイルの指によってえぐられるのだ。新たな傷の痛みは、ロックの意識を呼び戻し、果てのない痛みを与え続ける。
「……カ……イル…………もう……ゆる……し……」
かすれた声が、切れ切れに許しを乞うて発せられる。銀の瞳は涙に濡れ、白い頬は自らの血で汚れている。
しかし、彼の言葉はカイルの心を動かしはしなかった。容赦なく、更にロックを追い詰めていく。やがて、ロックの唇からは小さなうめきとすすり泣く声しかでなくなった。
「ロック……いっそ、ほかの集落に生まれていれば、お互いに幸せだったのかもしれないな……」
ロックが完全に意識を失う寸前、カイルがぽつりとつぶやいた言葉は、彼の耳に届くことはなかった。


目の前に、傷つき打ちのめされて意識を失っている少年がいた。
傷付けたのは……自分。憎しみのままに傷付けた。
“それで……お前は満足したのか?”
もう一人の自分が問いかけてくる。
「満足?……したさ。したとも。銀の瞳が何だっていうんだ。」
力任せに壁を殴りつける。こぶしに血がにじむのにもかまわず、そのまま力を込める。
「渡さない……渡すものか。皆の期待、フェネスの加護、何もかもお前が持っていくんだ。長の地位だけは、お前なんかに渡しはしない!」
吐き捨てるようにカイルは叫んだ。
「…………二度と……会わないことを祈るよ。次に会ったら……俺は何をするかわからない。」
空虚な心を抱えたまま、カイルは背を向けた。


その日から、村から銀の子供のかたわれは姿を消した。
どこへ行ったのか、知るものは誰もいなかった………………






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